与えているはずがいつの間にか求めてしまっていた
教育することはどんな企業にも必要なことではないでしょうか
幼稚な人と器が大きい人
会社や組織の人間関係で相手に「求める」というその欲求が出るのが自然なことなんです
でも、それを単純に考え必要以上に「求める」ようになると幼稚な人と捉えられてしまう
これは「求める自分」と「求められた相手」との間に大きな溝を作ることになりかねません
責任者と従業員、教育者と受講生などの間柄に起きてしまうとどうにもならない事態に
「求める」根底にあるのは「与える」でなければなりません
「与える」ことが上手い人、その人の器が大きく見えて安心出来る人に感じますよね
物事を【例えば責任者や教育者が】まずは与えることから話し合い、一致団結しようとしてもいつしか自我が出て話が熱くなり最終着地点が見定められない
それは自分都合の意見が多く、まだ「与えてもないのに求める要求ばかり」が先行する
何のためにコミュニケーションを取ろうとしたのかわからなくなることもありますからね
重要な会議でも自分の意見だけが正しくて考えているようで何にも考えてない
聞く耳持たないなど、先見性がなく直面している問題にしか目が行き届いていない
人はただそこにいるだけでは人の価値は低い
「求める」より「与える」という考え方で自ら動いていくことが重要なことなんです
そして自ら動いてより良いモノを創っていく
その行動の指針として「ある基準」を皆で共有する
人と意見交換することで、人の意見は自分の意見とは違うものだ、だからこそ話し合いが必要なんだと認識すること
「ある基準」の大枠は”自社が大切にしていること”です
それを頭に入れて、そのためにコミュニケーションが必要なんだと思います